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Quik(Lin felton)

クイック

グラフィティの巨匠

作品の購入は受注製作のみとなります(キャンバス、サーフボード、スノーボード)。作風は本ページ下部の作品を参照下さい。日本でのウォールアート製作に関してもお問い合わせ下さい。

©︎Museum TV

【アーティスト経歴】

クイックことリン・フェルトン(Lin 'Quik’ Felton) はアフリカ系アメリカ人画家、1958年にニューヨークのクイーンズに生まれた。10代の頃からグラフィティをニューヨークの街や地下鉄車両に描き始め、後に現れたジャン=ミシェル・バスキアやキース・ヘリングなどと共にニューヨークアートの基礎を築いた。クイックは風刺的で力強いコミック描写や数千もの地下鉄車両に多くのタギングや名作を残したことで知られる。

ニューヨークのPRATT(美術学校)とパーソンズ・スクール・オブ・デザインに3年間通った後、1982年クイックはFUTURA2000 (現在のFUTURAフチューラ)の働きかけにより、アムステルダムのアートディーラーYaki Kornblitによって見出された。その後ソウル・アーティスト美術協会によって名声に拍車がかかった。一時アメリカの巨大企業IBMに属しキャリア路線を試みた時期もあるが、核兵器の増殖やアメリカの国防省の強化につながるような仕事よりもやはり芸術の道が天職であると決意を固めた。

後にクイックはオランダの絶大な支援を受けて盛んに紹介されるようになり、ヨーロッパにおける人種的、社会的平等政策の優れた試みを評価して、アメリカ合衆国を避けるようになった。アメリカ合衆国での人種間の緊張や、社会的平等問題は周期的に起こり、それがクイックの作品テーマにも現れるようになっていった。クイックに彼の作品におけるテーマの発展や40年ものキャリアのことを尋ねた時、彼は一言「私は音を描いてるんだ、ブルースをね。」と語った。

ブルースが必ずしも彼の作品の代表的なテーマというわけではない。シニカルなアニメーションキャラクター(ロマンティックで憂いを秘めたピンナップガール)と彼のグラフィティレタリングが共存した作品もまた彼の代表的な作品であり、数百もの美術館や展示会でバスキアやキース・ヘリングなどと共に紹介され彼を有名にした。商業美術界の中での彼の止まることを知らないパワーとバランスを取るかのように、彼には尊敬されるに足る悪評もある。西ヨーロッパの高校生や大学生と並んで街にグラフィティを描いたり、さらにはグラフィティを教えたりしているのである。

クイックの作品ハーレム・スタジオ美術館、ニューヨーク市立博物館、オランダのフローニンゲン美術館そしてその他複数の著名な個人・公的な美術コレクション施設で見ることが出来る。クイックの顧客にはアメリカ大使館、フランスのSONY、NIKE、 DICKIES(アメリカの衣料ブランド)、 MTV、ユネスコ、KIDROBOT、 Jan Van Eyck Academie(オランダの美術アカデミー)そして他に挙げればきりがない。

by Charles Dillinger 2012 NYC

©︎Quik

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